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ラジオは壊れかけのメディアなんかじゃなく、SNS時代にこそ最適なメディアなのではないか。と書こうと思ったら星野源のことばかり書いてしまったブログがこちらです。

最近、ラジオを聴くようになった。高校時代に岸谷五朗さんの「東京レディオクラブ」なんかを聴いていた記憶がかすかにあるが、20代、30代前半くらいまではもしかしたら一度も聴いてないのではないか、というくらいラジオとは距離が遠かった。

ふとした機会に会社の同僚が TBS ラジオの「安住紳一郎の日曜天国」を愛聴していると聞いて、「ほほ〜ラジオねぇ」と思い、公式サイトにアクセスしてみると、過去の放送のダイジェストが MP3 でおかれていたので、オススメの回を教えてもらって聴いてみた。一瞬でハマった。そりゃそうだ、「安住紳一郎の日曜天国」は日曜昼間という時間帯にも関わらず、ラジオ番組の中でも2番目くらいに聴取率が高いお化け番組らしい。そりゃ面白いわけだ。

そんなこんなで始まった僕のラジオライフに追い風が吹いた。radiko の登場だ。革命が起こった。一週間分のラジオ番組のアーカイブをスマホで聞けるようになったのだ。おかげで、平日の昼に放送している「たまむすび」や、深夜に放送している一連のオールナイトニッポンなど、さまざまな番組を楽しんで聞いている。

ラジオの良いところは「ながら聴き」ができることだ。視覚と聴覚を奪われる TV はずっと TV の前に張り付いていないといけない。一方でラジオなら掃除をしながらだったり、お風呂に入りながら聴く事だってできる。一番近くにある音声メディアなわけだ。

こうしていくつかのラジオ番組を聴くようになってふと気づいたことがあった。それは、いつも聴いているラジオの人が TV に出てると不思議と親近感が湧くのだ。安住さんが TV に出ていると「おっ、安住氏、マジメな顔して頑張ってるな」なんて思う。ラジオが自宅で、TV が仕事場のような、そんな感覚になるのである。

そういえば、福山雅治さんはオールナイトニッポンで下ネタを言いまくることで有名だった。芝居ができて、桜坂を歌って、小雪が好きな日本随一の男前が、ラジオでは下ネタを言う。そうすると男性のファンが増える。同性から好かれる男はさらにモテる。相乗効果だ。

下ネタといえば、星野源もそうだ。ラジオで下ネタばっかり言っている。あえて星野源だけ呼び捨てにしているのは、若干ムカついているからだ。この人も芝居はもちろん、歌もエッセイもなんでもござれのマルチプレイヤーだ。さらに付け加えると、書いている曲が名曲すぎる。深夜の東北自動車道で、星野源の「くだらないの中に」という曲を聞きながら思わず泣きそうになったこともある。必死でこらえた。

星野源のエッセイも数冊読んだが、ウィットに富んでいて悔しいくらいに面白い。さらにはガッキーとキスをして、うどんを食べているだけなのに、目の前で吉岡美穂がキツネ姿で目をうるうるしている。間違えた、吉岡里帆だ。吉岡美穂は IZAM の奥さんだった。そしてくも膜下出血から復活をしたというエピソードまでもっている。どん底から這い上がった男は強い。本当に生きていてくれてよかった。生きててくれてありがとう。

結局のところ、僕は星野源になりたいだけなのかもしれない。完全に話の着地点を見失った。まぁ、いいや。これからは音声メディアが来るんじゃないかな。たぶんそんな気がする。

最後に、「安住紳一郎の日曜天国」のテーマソングで踊る娘の動画を貼っておきます。こういうの何ていうか知ってますか?そうです、親バカです。

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ピップエレキバン的な文章

ちゃんとしなくちゃいけないと思うと行動が制限される。誰かの迷惑になったりしないかなとか、そもそも面白いのだろうか、なんて事を考えると文章なんて書けたもんじゃない。だからこの文章はそのコリみたいなものをほぐすための雑文です。ピップエレキバン的な文章ってことです。ピップエレキバンって効くのでしょうか。

文章を書くこと自体は嫌いではないのだけれど、書かなくてはいけないみたいな状況はとても苦手なのでいわゆるライター的な仕事をしている人をとても尊敬する。いい文章を読むとある日ふとした時にそれを思い出す時がある。歯磨きをしていたり、電車で吊革につかまっている時だったり。いきなり何の訪れもないまま思い出される文章はなんとなくいい文章なんだろうと思う。

全然話は変わるのだが、近所に「ひじかた眼科」という病院がある。肘や肩の調子が悪い人が間違って入ってこないかとても心配だ。

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本を買ったらふんどしが送られてきた話。

なんとなくモヤモヤした日が続いていた。まぁ、そんなこともたまにはあるよね、なんて話を奥さんにしていたら、ある日仕事中に LINE が届いた。そこにはブログの URL が貼られていて、中川ケイジさんという方がブログに書かれた「不惑なはずの40歳が誕生日から人生をやり直すことを決意した件」という文章だった。まもなく40歳を迎える僕は、内容にとても共感した。

中川さんはいったいどんな方なのだろうとプロフィールを見てみたら「しゃれふん」をやられている方だと知って驚いた。「しゃれふん」は「おしゃれなふんどし」の略で、僕が携わっているカラーミーショップというサービスをご利用いただいたのもあって、以前から存じ上げていたのだ。

ちなみにカラーミーショップとは日本で一番選ばれているネットショップ作成サービスで、月額900円から本格的なネットショップがはじめることができる僕が心からオススメしたいサービスのことだ。あぁ、そうだ、これは宣伝だ。

しゃれふんの公式ネットショップを覗いてみると、ふんどしはもちろんのこと、中川さんが執筆された本も販売されていたので、迷わず購入した。購入する際にフォームの備考欄に、中川さんのブログを拝見してとても共感したこと、しゃれふんを以前より存じ上げていたことなどを書いた。

数日後、家に帰ると宅配ボックスに大きな箱が届いていた。ここ最近、特に大きな買い物はしていないはずだけどな、と思いながら箱を開けてみると、先日購入した中川さんの本の他に、別の本がもう1冊、さらにはたくさんのふんどしと手書きの手紙が同封されていた。

たくさんのふんどしを目の前にして、あまりの展開に驚くとともに、そのお心遣いにいたく感動してしまった。これはすぐに本を読んでお礼を伝えなければいけないと思い、その晩、一気に本を読み終えた。

本の中では、中川さんが大学を卒業して就職先が決まらず、ドラマ「ビューティフルライフ」の影響で飛び込みで美容師を目指した話、その後、ご兄弟の手伝いでコンサル会社に転職するも、うまくいかず鬱病にかかってしまう話、そんな中、ふんどしの魅力に取りつかれ、ふんどしで起業する話が書かれていた。

中川さんのジェットコースターのような人生とそれを支える奥さんの優しさ溢れるエピソードにぐっと泣きそうになったのはここだけの話だ。月並みな表現になってしまうが生きる勇気をもらえる、そんな本だった。

せっかくなので、頂いたふんどしを履いて寝てみることにした。T字型のふんどしを想像してほしいのだが、ヒモを腰に巻き、お尻の方から股下を通して前に持ってきて引っ掛ける。とても簡単だ。勝手にTバック的なものを想像していたが全然違う。締め付けが全然なくて、初めてトランクスを履いたときを思い出した。下半身に広がる開放感。フリーダム。

翌日、Facebook で中川さんを見つけ出し、御礼を伝え、本の感想やいつか一緒にご飯を食べに行きましょうという話をした。その際に、ブログも書きますねというお話をしていたのだが、だいぶ時間が経ってしまって今に至る。ちなみにいただいたふんどしはカラーミーショップのスタッフ内で欲しい人を募ってお配りした。みんなとても喜んでいた。中川さん、本当にありがとうございました。

余談だが「ホシハヤトとヒルティのインターネット汁」という僕と会社の同僚のヒルティという男の2人でやっているポッドキャストでも今回の「ふんどし事変」の話をした。興味がある方はぜひお聞きください。おじさん二人がダラダラと話しているだけなのでおじさんアレルギーの方はご注意ください。ちっくしょう!誰がおじさんだ!


人生はふんどし1枚で変えられるんですよ。Amazon での購入はこちら


いただいたふんどし。ポップでキッチュですね。僕が着用しているところをお見せできないのが残念でなりません。


関連リンク

[sitecard url=”http://www.keiji-nakagawa.com/entry/2016/12/13/210000″]
中川さんのエントリー「不惑なはずの40歳が誕生日から人生をやり直すことを決意した件」

[sitecard url=”http://sharefun.jp/”]
しゃれふん公式オンラインショップはこちら。気になった方はぜひふんどしライフをはじめてみてください。

[sitecard url=”http://internetziru.com/vol0061″]
こちらがポッドキャストでございます。iPhone の podcast アプリでも聞けますのでぜひご登録ください。

[sitecard url=”https://shop-pro.jp/”]
泣く子も黙る、最高のネットショップ作成サービス「カラーミーショップ」はこちら

 

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表参道ハブモアカレーでランチ

普段、あまりランチに誘われることがなく、一人で泣きながらセブンイレブンのゆで卵を食べることが多い僕ですが、今日は珍しく後輩の寿司(というあだ名です)とあゆし(というあだ名です)からランチのお誘いをいただきまして、「行く行くワンワン」と尻尾を振って喜んでいたら「今日はここに行きます」と指定されたのが表参道のハブモアカレー。

渋谷からは若干距離があったので、シータク(業界用語です)でひとっ飛び。表参道とは思えない古い感じのビルの階段を下ると、懐かしい雰囲気のお店がぽつり。2つの小皿を選べるスタイルとのことで、僕は1つ追加して3つの小皿を注文。甘かったり辛かったりいろんな味が楽しめる不思議なテイストのカレー。

お店を出るとまだ少し雨が降っていたけど、結構お腹いっぱいになったし、カロリーを減らすために歩いて帰ろうということになって、傘をさしながらいろんな話をして渋谷へ向かう。国連大学の前を通った時にふと入学したくなる。どんな勉強をするんだろう。校歌とかあるんだろうか。

渋谷の駅を通り過ぎる時に空を見上げたら、駅ビルの工事がだいぶ進んでいた。街の風景はあっという間にかわってしまって、前がどんな風景だったかを忘れてしまうのだ。

渋谷で働いてもう12年か。

[sitecard url=”https://tabelog.com/tokyo/A1306/A130602/13188166/”]

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あの頃のぼくに未来の日本代表にはACミランで10番だった選手がいるよと言ったらどんな顔するだろう。

サッカー日本代表がワールドカップ本戦への出場を決めた。本当に素晴らしいことだと思う。自宅で観戦していたが居ても立ってもいられなくて立ちながら応援していた。正確に言うならばノンアルコールビールを片手に立ちながら応援していた。6大会連続出場だと聞いて、とても感慨深い気持ちになった。

小学校1年生からサッカーをしていた僕は、それこそ30年くらい前から日本代表の試合を見ていて、西が丘競技場で横山ジャパンがインドネシアを相手に5-0で大勝した試合や、北朝鮮戦での水沼貴史のボレーシュートに感動していた世代なのだが、あの頃は日本代表がワールドカップに出場するなんて夢のまた夢だと思っていた。そりゃそうだ。86年メキシコワールドカップのあのマラドーナを見てしまったら、誰もがそう思うはずだ。住んでいる世界が違う。

そんな僕の思いを良い意味で裏切るように日本代表は急速に強くなっていった。カズ、ラモスのプレーは未来への希望だった。ヴァスコ・ダ・ガマとトットナム・ホットスパーを招待した1991年のキリンカップでは優勝。翌年のダイナスティカップでも優勝し・・・・・ここまで書いて、日本代表の歴史を振り返るにはあまりにも膨大な記述が必要な事に気づいた。

今の日本代表の右サイドバックはマルセイユで、左サイドバックはインテル。トップは1FCケルンで、キャプテンはフランクフルト。ベンチにはACミランで10番だった男がいるんだよって、小学校の時の僕に教えてあげたら爆笑すること間違いなしだ。マンガじゃないんだからって。

なんだかんだで日本代表が一番好きなチームだ。それは今後も変わらない。僕が死ぬまでにワールドカップで優勝する瞬間を見ることができたら最高なんだけどな。

※ 写真は1989年ダイエーカップ国際少年サッカー大会の決勝戦、高島平サッカークラブ vs 清水フットボールクラブにおいてシュートを思いっきり外した後の僕。VHSの映像からキャプチャのためめちゃくちゃ粗い。